アドバイザーブログ

ピッコロシアター3年間の軌跡

今から3年前、2015年の夏にはじめて兵庫県にある尼崎青少年創造劇場(通称:ピッコロシアター)の音声ガイド付き演劇公演にアドバイザーとしてかかわりました。あれから毎年、ピッコロシアターは視覚障害のある人たちも訪れることのできる演劇公演づくりに取り組んでくれています。私たちも、同じようにこの3年間、ピッコロシアターが自立して実施していけるようアドバイザーとして支援してきました。

3年前はどうだったのだろう?

やっぱり「挑戦」だったと思います。「何からやればいいのかわからない」と言った職員の言葉が今でも思い出されます。1年目は音声ガイドの実施に加え、とにかく「広報」についての取り組みが中心でした。どうすれば視覚障害のある人たちに情報を届けることができるのか。チラシに記載する必要のある文言は何か。ひとつひとつ実践を通して伝えていきました。その甲斐もあり、当初の目標だった10組を大幅に上回り27組の視覚障害のある人たちが当日は鑑賞に訪れてくれました。

2年目。

久しぶりに職員のみなさんに会うと、1年前に伝えたことは予想以上に忘れている状態でした。なのでもう一度研修からやり直しました。それでも、最終的には去年の反省を改善しながら取り組めました。1年目からの改善が生かされたのは運営面でした。この年から、最寄駅までの送迎をスタートさせることができました。音声ガイドの台本づくりも、早い段階から演出家と音声ガイドスタッフがミーティングを開き、意思疎通を図ることができました。少しずつですが、音声ガイドが演劇の外にある状態から、演劇の一部として意識されはじめました。

そして今年。

ピッコロシアターは自分たちで音声ガイドの台本づくりから当日のナレーションまでを実施することができました。駅までの送迎は、地域の福祉団体と連携して実施しました。運営も1年目から考えれば随分と成長したと思います。3年前、「何からやればいいのかわからない」と言っていたのが懐かしい(笑)

1年目が終わった時、私はピッコロシアターに「モデルになってほしい」と伝えました。そのモデルとは、

ハードが恵まれていなくてもソフトでカバーできることもある

車いすを迎えるのが難しい環境だからといって、そのほかの障害のある人すべてを迎えることができないというわけではない

「障害のある人を迎える」ということを考えた時、車いすの方を一番にイメージしてしまいます。そうすると、大きく立ちはだかるハードの問題に直面します。もちろん車いす利用者を含めた「誰もが来れる環境づくり」を考えていく必要はあります。しかし、大切なのは、車いす利用者を迎えることができないからといって、その他の障害のある人たちすべてを迎えることができない、というわけではないということです。自分たちの劇場でもできること、それが視覚障害のある人への鑑賞サポートであるならば、そのことを第一歩としてスタートさせてもいいのではないでしょうか。劇場によって鑑賞サポートに特色があってもいいのではないではないか。ということです。

ピッコロシアターは視覚障害のある人の環境づくりからスタートしました。このことが、私の伝えたかった「モデル」です。これからも、ピッコロシアターのさらなる進化を楽しみにしています。そして、全国の劇場に、この考え方が広がることを期待しています。

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